名字の言より
こんにちは。
Kuroneko358です。
ある高校生の女の子は「ハーフ」に憧れを抱いていた。
その彼女が母親に「なぜ、フランス人と結婚しなかったの?」
と聞いた。
『重大なことを見落としている』と指摘する。
もし、お母さんが海外の人と結婚していたら
『今の自分のは、この世に存在しない』
私も長年生きていてもいまだに思うことがあります。
”『なんで私を産んだのか?』
苦しさが途切れることがなく何歳になっても苦しい。
人並みの生活水準・暮らしになろうと、ここまで
頑張ってきたがまだ苦しさは耐えない。
生まれてこなければよかった。“と。
確かに茂木健一郎氏のいう通り”この父親・母親“だから
私がこの世に存在する。
また、これが違う両親だったら、別のことで苦しんでいるのだろう。
悩みのない、苦しみのない人生はない。
誰もが持っている。
皮肉なものだ!
作家の村田喜代子さんがかつて、
「自転車に乗れない」「 父親がいない」「吃音」
など、自らが持つ幾つかの事柄についてこう語っている。
それらに悩まされることはあったが、常に楽しい方向へと
考える習慣を身のつけることができた。という。
さらに「“足りないもの”こそが私の文学の源」と
述べた上で、こう強調した。
『 玉にキズ(瑕) 』ということわざがありますが、
何かを生み出すときに、発想の跳躍台になるのは
『 玉 』よりも『 キズ 』です。
“ なんらかのキズやコンプレックスを抱えていたとしたら、
それは宝物です。” と。
『 幸せになりたい 』 という願いは、自分を
別人に変えて実現することはできない。
また、他人と比較した結果の優劣でも決まらない。
今の自分の境涯をどこまでも開き、高めていく中
に真の幸福はある。 と。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます😊
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